![]() |
|||
![]() |
|
糖尿病で「合併症になら連」阿波踊りの会の第1回大会を、2000年8月14日に徳島市にて行い、無事終えることができました。 これも皆様のご協力の賜物と、厚くお礼申し上げます。
この企画を始めたのは、糖尿病治療の基本の一つである運動療法の一環として、汗をかくこと、踊りを通して糖尿病の合併症にならないため、日頃の生活習慣がいかに大切かということを、私たち参加者だけでなく、踊りを見ていただいた多くの方々にもメッセージできればと考え、また、同じ環境の人たちが集い、支え合う情報交換の場が出来ればとの思いからでした。 |
|
| 西村登喜子会長 |
|
||
第1回の、糖尿病で「合併症になら連」阿波踊り大会は、2000年8月14日、全国から患者さんやそのご家族、医療スタッフなど46人が参加して熱気に包まれる徳島市にて行われました。
出番を待つ間、他の連の慣れた様子、整然と繰り出していくさまを見ているうちに、ほんとに大丈夫かなと思うところもありましたが、カネ、太鼓の音や周りの雰囲気にのせられだんだんボルテージが上がり、さあ出番です。 桟敷席の中を約15分から20分、夢中で踊るうちにすっかり名人の境地に達し、いい気分で終えることができました。 当日は、初めての試みということもあり、関西テレビや徳島新聞、毎日新聞など多くのメディアで取り上げられ、糖尿病に関わる多くの皆様に「合併症になら連」からのメッセージが届いたのではと考えております。 ホテルに帰ってからの懇親会では、「来年もまた来たい」と、再会を約束して長い一日が終了しました。 2001年もまた、徳島でお会いしましょう。 |
糖尿病で「合併症になら連」を先導して
真夏の太陽が照る徳島に、そして8月14日、夢にまで見た阿波踊りによく来ていただきました。 |
年を忘れ踊りました
暑い八月十四日の早朝、姫路市を出発し、明石大橋、鳴門大橋の2つを渡って四国入りしました。道路状況も空いていたため思いのほか早く着き、徳島文化会館で藍染めと徳島の文化に触れた後、会場に向かいました。 |
踊らなソンソン
徳島市民の20世紀最後の祭典に参加した私は、老いても(74歳)病んでも(五病息災)「踊らなソンソン」と踊る快感に酔いしれ、初体験の阿波踊りの出会いに感動する。 |
来年も徳島でお会いしましょう
2月末に新聞の記事を拝見してから、あっという間の半年でした。県外の方が糖尿病ということだけを共通点にして連を作り、はるばる徳島まで来て阿波踊りを踊る。この無謀にも近い計画に、賛同しお手伝いしたいと申し出たものの、果たして本当に実現することができるのか、成功するのか、内心とても不安でした。 |
阿波踊りに参加して
阿波踊りの前日までは気軽に参加しようと思っていましたが、当日そろいの衣装をいただき「新のんき連」の本物のすばらしい踊りを見た途端に勝手に手足が動いて、一生懸命稽古をしている自分自身に気がつきました。 |
私たち夫婦はともに栄養士をしておりますが、今回の企画は実にすばらしいとすぐに参加を決めました。 徳島に着くと、市全体が熱気の渦に巻かれていて、人前で踊るのが恥ずかしいとか…なんてことはすぐに吹っ飛んでしまいました。以前より、糖尿病に運動療法を取り入れることに賛成で、この企画のように、ともに楽しみながら体を動かすことができ、いろいろな人と一度に交流ができる事はとてもすばらしいと思います。 今後もずーっと続けて、国内、海外と大きく発展していかれることを楽しみにしています。 |
来年のお盆も徳島でお会いしましょう
何かと至らない点が多々ございましたが、事故もなく、無事に第1回目の催しが終了し、迎える側の一員して安堵の気持ちでいっぱいです。 |
阿波踊り大会を終えて
糖尿病の患者さんと一緒に、阿波踊りの連を作る話を、西村さんより初めて聞いた時は少し驚きましたが面白い企画だなと思い協力を決意しました。サブとして準備を進めていくうちに、参加人数の確保、患者さんの体調の問題、ぶっつけ本番で踊れるかなど、不安がいっぱいでした。しかし打合わせのために何度も徳島に出向くようになって計画内容が明確になるに従い、とりあえず今年は、「合併症になら連」を立ち上げることが第一と考えました。それでも紆余曲折はありましたが、姓憶さんの全面的な協力のおかげで、やっと当日を迎える事ができました。 |