開催報告

第23回 若い糖尿病患者さんとのグループミーティングのまとめ

東京女子医科大学糖尿病センター 小林浩子

雨天にもかかわらず、第23回目のグループミーティング(2013年6月22日)には患者さん33名、ご家族3名、医師8名(うちスタッフ5名)、看護師2名、と数多くの方にご参加いただきました。

オープニングで印象深かったのは、ある女性の発言です。
 「私は自分の中で1型糖尿病をどう捉えていくのかがわからなくなり、行き詰っています。パンフレット等に書いてある"1型糖尿病はインスリンを注射さえすれば、普通と同じ生活が送れます"とあるのは本当でしょうか?」という問いかけでした。彼女は二人目のお子さんを助産院で出産されたいという希望があったそうですが、電話したところすべてに断られてしまったという体験をお持ちでした。

"普通と同じ生活が送れる"というので仕事場ではバリバリと普通に仕事をこなすことが求められ、むしろ糖尿病に負けまいと人並み以上に働かれている印象でした。
 しかし、その一方で助産院では受けいれてもらえない。つきあう相手によって病人にされたり、そうでなかったり、いったい何なの!!! 
 糖尿病になって、ただ生活を元に戻したいだけなのに、理解してもらえない…という問いかけでした。

これには医療関係者として働く私はドキッとしました。
 確かに1型糖尿病発症間もない方には、「インスリンを注射して血糖をコントロールすれば学校・社会生活も結婚も出産もできますよ。」という表現は使うからです。
 場合によっては「インスリン注射さえすれば普通の生活を送れます。」という言い方になるかもしれません。ですが、改めて考えると、この"普通の生活"とはどのような生活をいうのでしょうか?

インスリンを毎日注射すること、その量やタイミングを考えて注射しないといけないこと、場合によっては血糖が高くなったり低くなったりで体調が悪くなってしまうこと、定期的に通院しその度にHbA1c値をまるで成績表を渡されるように目の前につきつけられること、合併症について不安に感じること、一人一人感じ方や思いは異なると思いますが、上記のことは患者さんが日常的に行っていることです。

果たしてこれが普通の生活でしょうか?
 「インスリンを補いさえすれば普通と同じ」というのも一つの捉え方ですが、その言葉の意味自体が患者さんにとって非常に負担になっていること、なりうることを、医療関係者は十分に認識しなくてはいけないのだと思いました。

チャプレンからはアンソニー・スオフォードの湾岸戦争体験記「ジャーヘッド/アメリカ海兵隊員の告白」という本が紹介されました。
 いつ戦闘で亡くなるかわからないという極限下において主人公が望んだことは一人の人間に戻ること、すなわち「Hugをしよう。ありのままの人間を、自分をさらけだそう」だったそうです。

ありのままの自分をさらけ出すのは勇気がいることです。
 ですが、何かに行き詰ったとき、また気持ちが沈んでいるときに、自分の中の気持ちを正直に話し、それを分かち合うことが生きていく力を取り戻してくれる。

今回、発言して下さった女性も、また他の参加された方々もグループミーティング終了時にはにこやかな顔をされているように感じ、嬉しく思いました。