私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

14.2年目のアメリカ生活

1. 多くの日本の先生方と逢う
 2年目の春はシカゴで Federation Meeting があり出席したら九大の奥村恂博士もおられた。昨年お逢いしたら当時インスリン作用の R. Levine がいたマイケルリーズ病院で研究していたとのことであった。京都の福井巌博士はニューヨークの Adlersberg の下で脂質の研究をつづけられフィラデルフィアにも訪ねてくださった(図1)。その年の第20回 ADA はマイアミビーチでLukens教授が会長であった(図2)。真赤なポインセチアが咲いていたことと、晴天なのに強い風だったのが印象に残っている。上田英雄教授、勝木司馬之助教授、浅越喜威教授はじめ多くの日本の先生方がペンシルベニア大学に来られ拙宅にお招きし日本では聞けないような話をうかがうことができた。上田先生は拙宅に2泊なされた。

図1
福井巌先生と G. Duncan 教授が診療していたフィラデルフィアのペンシルベニア クリニック
 
図2
第20回 ADA で話す
F. D. W. Lukens 教授

 7、8月は夏休みで教授は避暑に行くのが慣例であったがその年はスコットランド旅行に行くから教授の家でアメリカ生活をエンジョイしてみないか、と言われ、郊外のストンハウスで一夏暮らした。食糧庫のものはみな食べてもよいし、何処をつかってもよいと言われ、芝刈りはほどほどにして、教授の書斎で本を読み、夕方は庭でビールを傾けた。一生のうちでもっとものんびりできた日々であった(図3)。

図3
一夏過ごしたルーキンス教授宅の庭にて教授夫妻と

 アロキンサン糖尿病ラットで Houssay 現象をみる実験では、副睾丸脂肪組織とともに肝切片、横隔膜についても 14C −グルコースの CO2 への酸化およびグリコーゲンへの転入をみる実験も行った。その頃は糖尿病の代謝が飢餓と比較され、果糖負荷による改善などが注目されていたので、正常ラットと下垂体摘出ラットを5日間完全に絶食して肝、横隔膜、心筋のグルコース代謝とグリコーゲンの変化を測定した。グリコーゲンの増減には下垂体の関与の大きいことなどがわかった(図4a,b)。

図4

  ラットを絶食した場合の肝、横隔膜、心筋のグリコーゲン含量の変化
  ラットを絶食した場合の横隔膜のグルコースよりのグリコーゲン生成(in vitro)

2. ジョスリン クリニックを訪ねる
図5
ジョスリン公園
 研究期間も残り少なくなった1960年の11月ボストンのジョスリン クリニックを訪ねた。2階建てのクリニックの前には500坪ほど空地がありそこに図5のような標識が立っていた。
 Joslin博士は、はじめ Bay State Road 81番地に住み1912年よりそこで開業、ニューイングランドディアコネス病院に隣接した現在地には1956年に開所したという。筆者が訪れたのは4年後ということになる。ピーターベント病院、ハーバード大学医学部なども近くにある。カンファレンスはディコネス病院で開かれ、当時90歳のJoslin博士も出席していた。Root 博士、Marble 博士、White 博士などがスタッフであった(図6,7)。日本のクリニックのような混雑はなくゆったりと診療が行われていたが特に変わった治療方式ではなかった(図8,9)。

図6
E. P. ジョスリン先生(90歳)
 
図7
H. F. Root 博士(ジョスリン クリニック
の入口で)

図8 ジョスリン クリニックの患者カード

図9 ジョスリン クリニックの食事表

図10
「亭主を早死にさせる十箇条」の
Jean Mayer 博士
 
図11
肥満高血糖マウス(当時は ob/ob の
名称はなかった)

 研究部門はディアコネス病院のベーカーラボで、主任は A. E. Renold 博士。筆者は博士のラット副睾丸脂肪組織を用いる方法で研究していたので研究結果などを話した。博士は同じスイスからきたハーバード大学栄養学教室の Jean Mayer 助教授を紹介してくれた(図10)。Mayer博士は現在の ob/ob マウスの研究をしていたのでマウスをみせてくれた。普通のマウスより5、6倍も大きく腹部の皮膚はいまにも破れそうに見えるほど薄くなっていた。これはメイン州のジャクソン・ラボで動物飼育室火災の後に現れた変異として1950年に肥満高血糖マウスとして報告されたものである(図11)。Mayer博士はそれから10年後に「亭主を早死にさせる十箇条−早いとこ厄介払いをして、気楽な未亡人になりたい人のために」をファミリーヘルス(1970年5月)に発表して賑わした。

図12 ADA の患者用カード(表)
 
図13 ADA の患者用カード(裏)

図14
自由食提唱で有名なE. トルストイ博士
図15
C. M. ラッセルの名画「Wagon Boss」
河はミズリー河で集落はモンタナ州
の Helena と言われている
 ニューヨークには糖尿病の自由食療法のトルストイ博士が開業していて訪れ、治療についての意見をうかがうことができた。自由食と言っても体重を測りながら満腹しないようにすることで、現在はそれと同じになっているのではないかと思われる(図14)。
 11月ケネディが選挙運動をしていた頃は歩道を渡る道路の上にまでケネディの名前が書いてあった。ダウンタウンの糖尿病週間の講演会でLukens先生の話も聞いた。荷造をして2年間世話になったフィラデルフィアを発った。帰りは同じアパートの2階に暮らしていた眼科のレジデントの郷里のオクラホマのタルサに寄った。石油富豪のヨーロッパの宮殿風の住宅や庭園や、ウエスタンペンテングのコレクションで有名な美術館を見せられた。西部画家チャールス M. ラッセルの絵や彫刻が多く、Wagon Boss は素晴らしいと思った(図15)。
 渡米のときはプロペラ機だったが帰る年の11月からジェット機となり、11月末に就航したばかりの日本航空の箱根号に乗った。ホノルルで給油のため立ち寄ったが空港にはまだビルはなく椰子でふいた屋根の簡素な建物で、乗客はみなレイをかけられて喜んだ。羽田に着き東京の街を通ったときは、高い建物がないので原っぱを通るような感じであった。

図16
就航したばかりの日本航空のジェット機 DC8-32(132人乗り)
ホノルル空港にて

亭主を早死にさせる十箇条(Jean Mayar,1970)

早いとこ厄介払いをして、気楽な未亡人になりたい人のために

  1. 夫を肥らせなさい。25kg太らせたら10年早く自由を手にできます。

  2. 酒をうんと飲ませなさい。強い酒をグラスをほしたらすかさず何度でも満たしてあげることです。とりどりのおつまみをしこたま出すこともお忘れなく。

  3. とりわけ大事なのは、夫をいつも座らせておくことです。散歩に行こうなどと言いだしたら、楽しみにしているテレビがもうじき始まりますよと注意してあげなさい。水泳やテニスなどをやりたがったら、いい歳をしてとからかいなさい。

  4. しもふり肉のような飽和脂肪をたっぷり含んだ食事を腹いっぱいあげなさい。毎日卵を2つも3つも食べさせなさい。コレステロールは天井知らずにあがります。

  5. 塩分の多い食べ物に慣れさせなさい。血圧が高くなったら塩分をより多くして、血圧をもっと上げてやればよいのです。

  6. コーヒーをがぶがぶ飲ませなさい。濃いコーヒーは代謝を乱し不眠症にすることもできます。

  7. タバコをすすめなさい。タバコは未亡人志願者の最良の味方です。

  8. 夜ふかしさせなさい。深夜番組をみたり頻繁にお客を招いたり訪問したりすると、夫はくたくたに疲れます。過労と睡眠不足は夫を早くあの世へ送ることになるようです。

  9. 休暇旅行に行かせてはいけません。

  10. 最後の仕上げに終始文句を言っていじめなさい。お金と子供のことがうってつけの話題です。夫はますます酒を飲み、睡眠不足になり、血圧が高くなり・・・ということになります。

(2004年02月03日更新)

※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。

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