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2010年度第1号をお届けします。今回は南 昌江 先生から頂いた寄稿をはじめ、田尻さんの講演、そしてサマーキャンプの報告です。最近は、忙しくて発行が滞っておりますが、内容の充実度に免じてご容赦ください。今回の East Club 通信はストックホルムへの機中(ヨーロッパ糖尿病学会へ参加のため)で執筆しました。空港では南先生にもお目にかかりました。特別号ですね。East Club 通信は皆さんの協力なくしては維持できません。積極的な投稿をお願い致します。TM
2010年度最初の勉強会
南 昌江 先生にお出でいただきました2010年度最初の勉強会は6月27日に川口総合文化センターリリアに博多から南 昌江 内科クリニック院長の南 昌江先生をお招きして行いました。
南先生には数年前からご講演をお願いしておりましたがご多忙のためなかなかお出でいただくことができませんでしたが、今回ようやく念願が叶いました。先生から講演の要旨について寄稿をいただきました。大変すばらしいなお話しでした。有り難うございました。
特別寄稿
夢を追い続けて―インスリンとともに33年―南 昌江 内科クリニック 南 昌 江
このたびは埼玉 East Club での御講演の依頼をいただき、大変感謝するとともに、丸山(太郎)先生のおひざ元ですので少々緊張しています。すでに1型糖尿病の知識は沢山持っていらっしゃると思いましたので、本日は、インスリンが発見されてからの1型糖尿病の歴史と、私が糖尿病とともに歩んできた33年間を振り返ってお話させていただきます。
1.1921年〜1978年
1921年にカナダのトロントで Banting と Best によってインスリンが発見され、翌年1922年に1型糖尿病の少年に臨床使用され、血糖値の低下を確認しました。1925年にはアメリカで小児糖尿病サマーキャンプが開催されました。わが国では 38年遅れて、1963年に東京で、丸山(博)先生によりサマーキャンプが始められました。ついで、1969年に福岡、熊本で開催され、現在では全国47ヶ所で行われています。
1974年、小児糖尿病を持つ患者のご両親や先生方のご努力により、小児糖尿病は「小児慢性特定疾患」に指定され、18歳までは治療に関する費用は公費となりました。(現在は20歳まで患者一部負担に変更)
1976年ごろ、インスリンの注射器がガラスのシリンジから使い捨て注射器と針に変わりました。
私が糖尿病を発症したのは、このころの1977年8月ですが、約1年間はガラスの注射器を使用していました。針も太く1日1回朝食前のインスリン注射(レンテ50単位)はとても痛く辛いものでした。豚や牛のインスリンでしたので大腿部に硬結ができていました。血糖測定器は保険適応されていませんでしたので10数万円ととても高価で、おまけに大変使い辛いものでした。約1年間インスリン治療を続けていましたが、難病と言われる病気にかかったことに納得いかなかった両親はあつかましくも主治医の先生に「日本で一番小児糖尿病に詳しい先生に一度診ていただきたい」とお願いしたのです。主治医は快く引き受けて下さり、当時の東京女子医科大学糖尿病センター所長の平田幸正先生を紹介して下さいました。 15歳の春休みに、初めて平田先生の診察を受けました。その時言われたことは今でも心の中に残っています。「どうして病気になったかと後ろ向きに考えるよりも、これからのことを前向きに考えなさい。この病気はインスリン注射をして自分で管理していけば何でも出来る、インスリンを持って海外を飛びまわって仕事をしている女性もいますよ。」と大変穏やかに説明をして下さいました。何だかとても安心したのを覚えています。東京から帰って高校生になった私は、平田先生からの紹介で福岡赤十字病院の仲村吉弘先生のところに定期通院するようになりました。そして夏休みにはじめて両先生が勧めて下さった“サマーキャンプ”に参加しました。サマーキャンプでは同じ1型糖尿病の子供達やヘルパーなどたくさんの友達が出来、同じ病気を持つ仲間と共に悩み、考え、励まされました。そしてそこで出会ったヘルパーからの言葉も忘れられません。
「病気を抱えて生きていくのは誰でもない自分自身なのだから、一人で生きていく強さを持ちなさい」
サマーキャンプに参加して、はじめて病気であることに甘えていた自分に気付き、その頃から自分の将来を真剣に考えるようになりました。そして糖尿病になった私を温かく見守って下さった先生や看護婦さんの姿が目に浮かんできました。
「私も医者になって、同じ病気で悩む子供たちに何か出来ないだろうか?」と考えるようになりました。糖尿病にならなければ決して考えなかったであろう医師への道を志すようになったのです。
2.1979年〜1988年
1979年、HbA1cの測定が可能となり、過去1〜2ヶ月の血糖コントロール状況がわかるようになりました。
インスリンの発見から60年遅れて、わが国では1981年にようやく「インスリン自己注射」が公認され保険適応となり、このころから「自己血糖測定」が普及し始めます。
1985年には、ペン型のインスリン注射器が使われるようになってきました。
1986年「自己血糖測定」が保健適応となり広く普及しはじめました。またこのころ遺伝子工学の技術により、「ヒトインスリン」が開発されました。
私は1982年、念願の医学部に入学しました。18歳で親元を離れ自炊生活を始めましたが、私が糖尿病と向き合うようになったのはこのころからだと思います。親元を離れる時、父から「自分の体は自分で責任を持つように」と言われました。高校生まではほとんど行っていなかった“自己血糖測定”をするようになり、血糖の変動に興味を持つようになりました。当時私はまだペン型注射器は使っていませんでしたが、昼食後から夕方にかけての血糖値が高いことに気がつき、朝、夕の中間型+速効型に加え、昼に速効型のインスリンを加えました。主治医には事後報告だけをしていました。そのころから少しは自分で考えてコントロールできるようになってきました。大学時代はスキー場のペンションで住みこみのアルバイトをしたり、アメリカにホームステイに行ったりと大学生活を思いっきり楽しみました。“糖尿病があっても何でもできる”ということを自分自信で確かめたかったのです。
3.1988年〜現在
1991年12月、わが国で始めての膵腎同時移植が成功しました。
1993年、アメリカでDCCTの結果が発表され、強化インスリン療法が推奨されました。
2001年には新しいインスリンであるインスリンアナログが開発され、超速効型インスリン(Lispro、Aspart)の使用が始まり、ついで2003年には時効型溶解インスリン(Glargine)の使用が始まりました。
また、この20年で“自己血糖測定”が急速に広まり、血糖測定機もより正確で簡便なものに変わっていきました。こうしてインスリン製剤や医療器具の進歩により治療法の選択肢が増え、一人一人の患者の生活パターンに合わせた治療が可能となり、患者の QOL がより一層充実したものになってきました。
このように1型糖尿病医療の歴史を振り返りながら自分の人生を見つめなおしてみると、私はこの時代に糖尿病を発症し、まさに糖尿病の医療の進歩と共に歩んでいます。私が、現在糖尿病のある人生を満喫できているのは、この時代の医学の恩恵と糖尿病医療に情熱を注いでこられた先生方のおかげだと感謝しています。
その後、1988年大学を卒業し、念願の東京女子医大糖尿病センター、平田幸正先生の元で医師の第1歩を歩み始めました。研修医時代は、不規則な生活が続き、また糖尿病の合併症のひどい患者さんを初めて目の当たりにし、糖尿病を専門にすることをやめようと思った時もありました。しかし、辛い時はいつもサマーキャンプの子供達の顔が頭に浮かんできて励まされました。
医師になって3年目に今度は肝炎を患い福岡に帰ってきました。療養中、何も出来なかった時に医師になり立ての頃に平田先生からいただいたお話を思い出しました。「あなたは自分自信の貴重な糖尿病の体験を綴ってみたらどうかね?」何もやる気の無かった私でしたが、少しでも自分に出来ることがあるのならと思い、ほんの少しずつ書き留めておくようにしました。数年かかって1998年に「わたし糖尿病なの」を出版することが出来ました。私の経験が、糖尿病を持つ子供達に勇気と希望を与えることが出来るよう、そして多くの人に糖尿病を正しく理解していただくことができることを願って。
その後1998年に内科クリニックを開業し、毎日多くの糖尿病の患者さんと接しています。通院中の糖尿病の患者さん達、特に子ども達や若い人達が夢を追いかけて頑張っている姿に刺激を受け、フルマラソンに挑戦ようと思いはじめました。それまで数km程度しか走った経験がなかったので、42kmを走りきれる体力と血糖値の変動が心配でした。1年計画で練習をはじめました。1時間以内の運動には血糖コントロールの調整はそれほど難しくはありませんでしたが、長時間の運動ではかなり血糖値が下がりますがそれも運動量や体調によっても変り、難しいものだとわかりました。時々乳酸値やケトン体も簡易測定器で時々チェックし、自分の体の状態や変化を観察しました。2002年、初めてのフルマラソンを完走した時、感動と達成感と感謝の気持ちでいっぱいになりました。またその時、自分に対して体力的にも精神的にも自信がつきました。2004年にクリニックを新築しようと決意したのはこの時でした。
最近は、糖尿病の患者さんや友人達も一緒に参加して楽しんでいます。“糖尿病があってもなんでもできる、楽しい人生を送ることが出来る”ことを一人でも多くの患者さんに理解して体験していただきたいと思っています。
最後に私に愛情いっぱいで育ててくれた父と母の言葉を紹介します。
厳しい父からの言葉
「お前はハンディを持っているのだからその分、人の2倍も3倍も努力しなさい。」
「糖尿病があるからできなかったことはあるか?」
優しい母からの言葉
「あなたは良い友達に恵まれて、良い先生に出会って本当に幸せね。」
「あなたのおかげで、お母さんも幸せ。」
これまで私が出会った人々や医学から受けた恩恵に感謝し、一日一日を大切に糖尿病のある人生をこれからも皆さんと明るく楽しくそして自然に生きていきたいと思っています。
2009年度最後の勉強会
セパタクローの田尻選手2009年度最後の勉強会はセパタクローの日本代表選手である田尻さんに大阪からお出でいただきました。セパタクローは簡単に言えば足で行うバレーボールです。日本ではあまり知られていませんがタイやマレーシアなど東南アジア諸国では非常に人気のある競技です。田尻さんはセパタクローに魅せられ、1型糖尿病をものともせずにナショナルチームのメンバーとして活躍されています。今回は、田尻さんの試合のビデオを見せていただきながらセパタクローの魅力や1型糖尿病にたいする考え方などを語っていただきました。田尻さんの話しを伺い、試合を見せていただき、セパタクローは我が国でも、もっともっと注目されて良いスポーツと思いました。最近はセパタクローを広めるためにさまざまなイベントを開かれているとのことでした。是非見に行って下さい。イベントや試合の予定はネットで調べることができます。
田尻さんの今後の御活躍をお祈りします。
2010年度サマーキャンプ
〜とうとう千葉まで行ってきました〜2009年度のサマーキャンプは9月4、5日の二日間、南房総で行いました。
今年の参加者は31名で昨年よりさらに増えました。例年同様、楽しい会でした。4日の午後にさいたま新都心駅に集合し、経費節減のため、今年も会長の坂本辰蔵氏が運転するレンタカーの大型バスで千葉県・富浦に向かいました。
幸い、全く渋滞はなく、海ほたると浜金谷の道の駅での休憩を挟んで富浦の民宿へまっしぐら。午後5時前について自己紹介をしたあとは夕食まで自由時間でした。宿から海までは歩いて数分の近さで、東京湾の素晴らしい夕焼けを堪能した方も多かったようです。
夕食はいつものようにたっぷりのメニューでした。夕食後、これも、いつものように懇親会を行いました。
翌日は、辰蔵会長運転の大型バスで鋸山へ。当初は山頂まで歩いて登ることを考えましたが、熱中症にならないように考えてロープーウェーで山頂へ登り、とても広い日本寺の境内を歩いて絶景を堪能しました。かなり長いコースを歩いた人、ショートカットして楽をした人など様々でしたが、それなりに楽しい散策でした。大仏で記念写真に収まったあとは昼食です。今年は、金谷のドライブインで地の魚料理をそれぞれの好みで頂きました。煮魚、焼き魚、天ぷら、刺身、などなど、それぞれたっぷりの昼食を堪能し、帰途も海ほたるでおやつを食べたりお土産を物色したりして、無事、さいたま新都心までもどって今年のサマーキャンプを終えました。来年も9月第1週の週末に行う予定です。皆さん、スケジュールに入れておいて下さい。
右の写真は山頂展望台の絶景です。
下の写真の大仏は日本一の高さの石の大仏です。
第10回日本先進糖尿病治療研究会のお知らせ
先進糖尿病治療研究会は糖尿病の専門医、コメディカルスタッフ(看護師、栄養士、検査技師、薬剤師など)、患者さんに糖尿病治療の最新情報を共有して頂き、先進的な治療を行うことを目的とし、毎年1回の研究会を行っています。
今回は第10回目の研究会で、イーストクラブの指導医である丸山が世話人を務めます。特別講演として、東京大学医科学研究所 幹細胞治療研究センター 幹細胞治療分野教授の中内啓光先生に「糖尿病に対する新しい治療:再生医学からのチャレンジ」の演題でご講演を頂きます。また、ランチョンセミナーでは済生会中央病院内科部長の島田 朗先生に「1型糖尿病の免疫療法」についてご講演を頂きます。ともに、1型糖尿病の治癒を目指す夢のある内容です。さらに、教育講演として Loma Linda University Medical CenterのScott Lee 先生に最新の持続血糖モニターとインスリンポンプについてお話しを頂き(同時通訳あり)、川村智行先生、黒田暁生先生、竹野谷潤子先生にはカーボハイドレートカウンティングの最新情報をパネルディスカッション形式でご紹介頂きます。患者・家族は参加費無料です。なお、ランチョンセミナーでは昼食のお弁当が無料で提供されます。できるだけ沢山の皆さんに参加して頂きたくお願い致します。
開催日時: 11月6日(土)、午前10時より 会 場: 埼玉県県民健康センター(浦和駅徒歩15分) 参 加 費: 医師・メーカー 5000円 コメディカル 2000円 患者・家族 無料