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第18回 IDF(国際糖尿病連合)世界会議に参加 1

2003年08月
花の都巴里へ
 2003年8月24日から29日にかけて開催された IDF(国際糖尿病連合)主催の国際糖尿病会議に出席するためにパリを訪れた。私にとって、94年以来9年ぶり2回目のパリ訪問である。

 今回の旅では、IDF 会議会場にて世界各国から参加した多くの糖尿病関係者と話す機会をもつことができ、また普段はメールでしかやりとりのない世界各地の糖尿病関係者とも直接会って話すこともでき、ほんとうに有意義な時を過ごすことができた。

 会議だけではなく、不届きながらもパリの街とモンサンミッシェルへの観光も楽しむことができ、ほんとうに充実し満喫した旅となった。
参加登録に苦労
 今回の会議への参加を正式に決めたのは、7月の中旬近くになってからであった。私の気持ちとしては、すでに昨年のうちから行きたいとは思っていたのだが、勤め人の宿命である人事異動の発表を待っての決定であった。運良く異動を免れ、理解ある上司にも恵まれ9日間の「夏休み」を取得できた。

 参加登録は通常、インターネットを通じてできるのであるが、大学院生でもある私は学生登録を望んだため、郵送にて英文で書かれた学生証(在学証明書)を送付しなければならなかった。一般登録では700ユーロ(日本円で10万円ほど)のところ、学生登録では220ユーロ(3万円ほど)になり、大きな違いである。通常の仕事と、大学院の勉強とで多忙の身にとって、IDF とのやりとりが難しかったため、たまたまネットで探し当てた学会を専門に扱っている旅行エージェントを通じて登録を依頼することにした。

 エージェントに英文在学証明書と日本語の学生証のコピーを送付した後も、私宛のメールで一般登録での請求がきたが、エージェントの「責任をもって、学生登録をします」という言葉を信じることにした。結局、会議初日まで「登録問題」を持ち越すこととなった。

 メールを通じ、ロン・ラーブさん、シェラド・ペンデセイ先生、そして南昌江先生と現地で会う約束をした。

 出発当日、成田空港までバングラデシュへ旅行したときに大変世話になったN氏が見送りに来てくれた。実はこのN氏、なぜかいつも私に幸運をもたらしてくれるお方なのである。そのN氏が空港まで見送りに来てくれたということで、これはきっと幸運に恵まれる旅に違いないとの予感がした。
機内のスペシャルミール
 インスリン機内持ち込みについて、今回は何も尋ねられることもなく、また、セキュリティチェックでも何も引っかからずに無事に通過した。

 使用した航空会社は、日本の航空会社で、数ヵ月前にキムタクがパイロットとして出演したドラマのモデルになった会社である。何でも、日本での通称名が中国語では「1日中空席」を意味するとのことで、通称名を変更したそうである。

 今まで、同社を利用したときも他社を利用したときも「糖尿病食」を機内食で予約したことはなかった。今回は、旅行エージェントからの提案で、別料金もかからないとのことで、試してみることにした。

 フライトアテンダンドが機内食を配るとき、「森田様、スペシャルミールのご用意をさせていただいております」と言って持ってきた。「糖尿病食」と病名に言及しない同社の乗客へのサービスはさすがであると感じた。

 血糖値を測り、166mg/dLと運動不足のためか少々高めのため、ノボペン300を8単位、ペンフィルNを2単位打ち、いざ、スペシャルミールにトライ!

 あたりの乗客の通常の機内食と比較する。ホワイトソースなど脂肪の多いものがない点、通常食がパンとご飯があるのがパンのみである点、サラダのドレッシングがレモン汁である点、ケーキではなく果物という点がざっとチェックした限り異なると感じられた。

 同社の機内限定版の吉永小百合が出演する映画のほか何種類かの映画を見ながら機内で過ごす。

 約8時間後、再びスペシャルミールを食す。このとき、血糖値は147mg/dLで、運動不足の割にはまずまずの線だろう。いわゆるロングフライト症候群予防のため、水分を多く摂り、通路側に席を予約し、機を見ては機内を歩き回った。

 糖尿病患者は、血栓を起こしやすいと言われているので、飲み物は利尿作用のあるカフェインのある飲み物を避け、なるべく水を飲むようにしている。
パリに到着、N先生に再会
 パリに着くと、現地の係員が迎えに来ていた。エージェントを利用している同じフライトでのIDF 参加者が10名を超えたということで、ホテルまでの送迎するとのことであった。

 そこで6年前にフィンランドで開かれた IDF 会議に参加したときにお会いしたN先生がいた。先生はあまり覚えていなかったと思われるが、「シリアラインの中で、若者たちと一緒に深夜までディスコで踊りましたよね」などと話しているうちに思い出してくれたようである。

 ホテルに着き、皆と別れチェックインする。日本から予約できるようなホテルなので、日本語が通じ、日本人が溢れているのかと思いきや、宿泊客はほとんど欧米人、英語もあまり通じない状態であった。2度目といえども、知り尽くしているわけではない街で少々不安になる。それでも夜9時過ぎまで明るい8月のパリ。夕方7時近かったが早速、近所を散策に出かける。

同じ穴の狢(むじな
 辺りは、アパルトメント、小売店、飲食店が立ち並ぶ。土曜日の夜ということもあってか、店の多くは閉まっている。

 歩き回っているうちに凱旋門を発見する。前回パリを訪れたときに上りそこねたので、今回は絶対と思い入口を探すも、地下道の入口もなかなか見つからず、放射状に広がる広い石畳の道路を渡るのは至難の業であったが、なんとか渡りついた。

 前回のときも凱旋門の大きさとその独特の威厳のようなものに圧倒され、フランスという国の偉大さに感動し驚いたが、今回も狭いながらも長く続く螺旋階段を息を切らしながら上りながら、再びその偉大さを感じていた。

 門の上に上ると、フランス語は全然聞こえてこない。つまり、外国人観光客ばかりということである。凱旋門の上からシャンゼリゼ通りを始め、放射状に拡がる通りやエッフェル塔、モンパルナスタワーなど美しいパリの街に見とれていた。

 すると、「IDF 2003 PARIS」と書かれたバッグを持った欧米人女性が2人いた。勇気を出して話しかけてみると、アメリカ人で糖尿病療養指導士(Diabetes Educators)と看護師ということであった。「明日以降、会場で会えるといいわね。」と言って別れた。その後、同じバッグを持った人をパリの街のあちこちで見かけた。

 その夜は、ホテル近くのテイクアウト式の中華料理の店を見つけ、野菜炒め、炒飯、回鍋肉を買い、ホテルの部屋で一人で食べた。散歩が効いたのか、このとき血糖値は100mg/dL。ノボペン300をいつもどうり8単位注射。テレビもケーブルテレビ系列の番組がなく、すべてフランス語だった。たまたま、私がひいきにしているリッキー・マーチンが出演している番組が放映されており夜の孤独な時間を過ごした。

 明日は、いよいよ会場にて登録手続き。うまく学生登録ができますようにと祈りながら就寝。ペンフィルRをいつもどおり6単位打ち、低血糖に備えカロリーメイトを枕元に置く。
©2003 森田繰織
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