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ウズベキスタン(1) ウズベキスタンを訪ねて1

2008年12月
 ウズベキスタンと聞いても、日本人にはいまひとつ馴染みの無い国かと思いますが、先日、サッカーのワールドカップのアジア予選で対戦し、引き分けとなったことは記憶に新しいと思います。

 ウズベキスタン共和国は、旧ソ連邦のひとつで、中央アジアに位置しています。隣国は、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス、そしてアフガニスタンと国境を接しており、古くからシルクロードのオアシス都市として、栄えてきました。古くから多くの民族が行き交い、他民族国家で言語、宗教、文化と非常に多様な国です。公用語であるウズベク語はトルコ語に近いですが、カザフ語はペルシア語に近く、旧ソ連時代の公用語はいまでも共通語として広く用いられています。

 今回は、首都タシケントの他、古都サマルカンド、ブハラ、そしてナボイの糖尿病医療施設を中心に訪ね、多くの糖尿病患者さんと医療スタッフの皆さんとお話してきました。


(右)全行程に渡って大変御世話になったタシケント地区内分泌系疾患研究所の医師 ズライコ先生
(左)小児糖尿病の専門医ファルーザ先生
 途中、発熱・下痢・嘔吐(おそらく食中毒)により入院というアクシデントもありましたが、現地の先生方、ニールさん、そして夫のおかげで、無事に旅を終え、帰国することができました。入院したことで、ウズベキスタンの医療事情を肌で実感することもできました(笑)。

 いままで、ニールさんやズライコ先生とのやりとりを通じて、ウズベキスタンの糖尿病医療事情に関する情報は得ていましたが、「百聞は一見にしかず」の言葉通り、やはり、実際に現地を訪れ、関係者と話をすることで、得られる情報は格段に違います。

 今回の旅は、首都タシケントから古都サマルカンドへ 車で6時間、サマルカンドからナボイへ車で6時間、ナボイからブハラへ車で6時間というかなり強硬な移動となりました。
 ロシア語が全くできない私のために、ズライコ先生、ニールさんの通訳の下、現地の医療スタッフの方々、患者さんたちとお話する機会をもつことができて非常に良い体験をすることができました。糖尿病関係者だけではなく、行政にも働きかけることができました。

 ナボイでは保健省のナボイ地区の部長さんを交えての会合に参加し、タシケントでは、保健省で保健省の医療政策部長さんと話す機会も得られ、私の患者としての経験から、良好なコントロールのために自己血糖の重要性を訴える機会を得ることができました。

 ウズベキスタンの場合、伝統的なコミュニティであるマハッラというものが根強く残っており、マハッラでの教育というものが生活習慣病の予防と発病してしまった後の治療・コントロールに対して非常に重要なポイントとなります。

 糖尿病の予防・コントロールには家庭における女性の地位向上、女性の役割が非常に重要なポイントとなることから、女性地位向上センターの幹部の方とお話しする機会を得ました。

 官僚の方に患者としての経験を話し、特に自己血糖測定が重要である旨を話し、インスリンと共に患者負担を減らす事が良好なコントロールに繋がるとニールさんとともにアピールして来ました。


保健省のナボイ地区センター


ウズベキスタン保健省にて


女性センターにて
ノリアセンター長を交えての話合いで女性の地位向上及び教育が糖尿病の治療及び2型も含め生活習慣病予防の鍵となることを確認しました


左から2番目が筆者 この後、スピーチしました。


タシケントのズライコ先生の病院では多くの先生方、医療スタッフ、患者さんの前で患者としての体験談をお話させていただきました。
タシケントのズライコ先生の病院で、患者さんたちと共に

 ニールさんの話では、5年前と比べ、道路などいわゆるインフラ事情は格段に良くなっており、医療事情においても非常に良くなっているとのこと。特にIFLがインスリンの提供を始めてから、ほぼ全てのインスリンが必要な糖尿病患者にインスリンは提供されるようになったとのことです。

 しかしながら、インスリンが入手できず命を落とす患者さんは格段に少なくなっているものの、自己血糖測定器とテストチップが不足しており、コントロールがうまく行かず、殆どの患者さんは、発病後3〜4年で目、腎臓に少なからず合併症が出てしまいます。病歴25年以上の私が合併症を全く出していないことを話すと、皆、非常に驚いていました。確かに現在の私は、1日、4回、日によっては7回、毎日、自己血糖測定をできる状況にあります。

 しかしながら、それは、ここ数年のことであり、発病してから何年かは、自己血糖測定器もテストチップも出始めで保険もきかず、非常に高価だったため月に数回程度しか自己血糖測定はできなかったこと、代わりに尿等検査をしていましたが、ベネジェクト液の煮沸に20分ほど要していたことを話し、食事療法・運動療法を中心に自らが自覚して治療を続けて行く事が大切なことを話しました。

 ウズベキスタン国内には、腎臓透析施設が無く、腎不全となってしまった患者さんが生き延びることは非常に困難と言えます。

 日本と違って、食事療法に関しても、医師が指導する形で、栄養士というポジションが無いため、私の視点からすると薬で治す=インスリンに頼るという急性期・感染症の治療の視点から抜け出せていないという印象を受けたことも事実です。

 運動に関しても、日本を始め、他の国々でも見られたウォークラリー等の活動が少ないように思われました。
 ウズベキスタンは、旧ソ連邦、共産主義的な考え方が強く残っているためか、医療は公的負担という考え方が一般的で、医療保険と言うものもありません。ウズベキスタン国民は、外来、GPでの診療、0歳から15歳の総ての医療、小児科、婦人科、退役軍人、障害者、低所得者も無料です。内分泌科、精神科、癌治療、救急医療については外国人も無料であるため、今回、私も1型糖尿病患者であるため内分泌科での救急医療扱いとなり、2日ほど入院したにもかかわらず治療費は総て無料でした。しかしながら、AIDSや結核については、薬剤費が不足しており患者が自己負担しなければならないということでした。

 資本主義国に暮す我々が気になる財源については、産業界からの納税、高額所得者の収入から3〜4%の納税のほか、イスラム銀行、アジア開発銀行、中国政府、日本の国際協力機構(JICA)、クウェートといった外国からの援助と投資ということでした。日本のJICAは、看護教育改善プロジェクトをはじめ、多くの保健活動、産婦人科関連の金銭的・物的・人的支援活動に関っていると聞いて、日本人は馴染みが薄いと思っていても、ウズベキスタンの人たちから日本に対する期待は非常に大きいと感じました。

 このように書くと、自己負担のある日本の患者から見ると非常に恵まれているように感じられてしまうのですが、皆が等しく医療を受ける事ができる反面、政府の財政に限りがあるため、正直なところ、日本と比べ、水準は低いと思います。しかしながら、それは経済面から見てのことで、医師たちの知識や医療従事者たちの仕事に対する熱意や意欲は非常に高く、経済的に恵まれてさえいれば、医療の質は非常に高いものとなると思われます。


インスリンは、IFLからの支援のほか、価格の安い中国製(ガンスリン)やインド製(ウォスリン)は100%政府の公的負担で提供されます。


血糖測定器はロシア製(メディライフ)が多い。

 ウズベキスタンは、旧ソ連時代の名残で、泊まるたびに登録手続きをしなければなりませんし、外貨持ち出しに制限があるため、1円単位まで所持金を出入国する際に申告する必要があります。実際に出国する時に宿泊登録証を見せることはありませんでしたし、所持金を実際に検査されたり、ということはありませんでしたが、まだまだ自由を制限されている国という印象を受けました。


(左)美しく改装・再建されたモスク
(右)崩壊寸前だった当時の写真
ソ連時代には朽ち果てたものや朽ち果てる寸前のものばかりだったという。

 ウズベキスタンの観光地の整備はいま、まさにすすんでいます。ぜひ、旅行に訪問してみてください。英語は通じにくいですが、治安はとても良い国です。


シルクロードを通じて日本にも影響を与えたと思われる非常に美しい陶磁器


(左)中央アジア名物 綿花 (右)ブドウ畑横にて 本当に美味しかったです


ロバが荷車を引く姿も多く見かけました
©2008 森田繰織
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