糖尿病の本

2020年11月16日

なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記

  • 出版社:A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 286頁 本体\1140円+税 岩波書店
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  • 概要:幼い息子が奇病にかかり,あと10余年の命と宣告──理不尽と思える不幸に見舞われたラビ(ユダヤ教の教師)が絶望の淵で問う.神とは,人生とは,苦悩とは,祈りとは.......自らの悲痛の体験をもとに,旧約聖書を読み直し学びつかんだのは何であったか.人生の不幸を生き抜くための深い叡智と慰めに満ちた本書は,世界各国で翻訳され多くの人の励ましとなった.

目次:
本書の原題は,“When Bad Things Happen to Good People”(『善良な人に悪いことが起こるとき』)ときという本の全訳です.1981年にこの本が刊行されるとすぐ,全米でベストセラーになり,その後現在までに14カ国で翻訳がなされるロングセラーともなっています.
 日本では1985年にダイヤモンド社より翻訳(『ふたたび勇気をいだいて』)が刊行され,同書を改題した岩波同時代ライブラリー版(『なぜ私だけが苦しむのか』)を元に,今回改めて岩波現代文庫に収録されました.

 私たちは今日あると同じように明日もあることを疑わず,日々暮らしているといえます.しかし,突然事故に巻き込まれて体の自由を失ったり,痛ましい事件によって子どもの命が奪われたり,病の宣告によって死を突きつけられたり,という事態は可能性として誰にでも起きうること.「何も悪いことをしていないのに,なぜ私がこんな目にあわねばならないのか」――この不条理への嘆きはどれほど深いものでしょう.当事者であれば生きる希望を失ったとしてもおかしくはないし,周囲にいたとしても何と声をかけたらいいか言葉もない,という状況かもしれません.

 この深刻な状況に正面から向き合い,悲しみと苦悩をそのままに受け止め,言葉を紡いだのが,本書の著者ハロルド・クシュナーでした.例えば,本書にはこんなくだりがあります.
 「悲しみにうちひしがれている人になんと言えばよいかというのはむずかしい問題ですが,なにを言ってはいけないかというのは少しは簡単なように思います.悲しんでいる人を非難するようなことはすべてまちがいです(「そんなに深刻になるなよ」とか「泣くのはおよしなさい,みんな困ってしまうじゃないの」).悲しんでいる人の痛みを小さくしようとする試みはすべて適切でないし,喜ばれもしません(「きっと,これでよかったのさ」「もっとひどいことになっていたかもしれないんだからね」「今のほうが,彼女にとっては幸せなのよ」).悲しんでいる人に,自分の感情を否定したりごまかしたりすることを促すようなことも,まちがっています(「私たちには神に問う権利はありません」「神さまはあなたを愛しているからこそ,あなたを選んで,こんな重荷をお与えになったんだわ」).
 ……(旧約聖書「ヨブ記」の)ヨブは助言より同情を必要としていました.適切で正しい助言であったとしても同じことです.助言するにふさわしい時や場所は,もっとあとにやってくるものです.彼が必要としていたものは,苦しみを分かちもってくれる愛情だったのです.……」(139~140ページ)

  ユダヤ教の教師(ラビ)であったクシュナーは,息子アーロンが3歳になったばかりの時,彼が早老病(プロゲリア)という病であり,子供の時から老人のような容貌を呈し,10代のはじめに死ぬだろうということを告げられました.「なぜ,こんな不幸が私の家族に?」「神の前に正しい生き方をしてきたのに」「仮に私が高慢であったとしても,何も無邪気な3歳の少年が苦しみを引き受けることはないではないか」…….聖職者であるクシュナー自身も,どこにでもいる一人の人間として悩み苦しんでいました.しかしそこから彼は,どのように思索し,それでも生きていく勇気を見いだしていったのか…….

  14歳でアーロンが死んで1年半後,悲しみの内にも本を書くべき時がきたことを著者は自覚します.
 「私は自己憐憫を克服して自分の息子の死を直視し,受容するところにきていたのです. 私はこんなに傷ついた,こんなに悲しい思いをしたと語るだけの本など,だれのなんの役にも立ちません.書くからには,それは人生に確信を与える本でなければなりません.痛みや失望のない人生など,だれも約束してくれないのだと語る本でなければならないのです.私たちに約束されていることがあるとすれば,私たちは苦しみのなかにあってひとり孤独でいるのではなく,人生の悲劇や不公平に負けないための力や勇気を自分の外に求めることができる,ということです.
 アローンの生と死を体験した今,私は以前より感受性の豊かな人間になったし,人の役に立つ司牧者になったし,思いやりのあるカウンセラーにもなったと思います.でも,もし息子が生き返って私の所に帰ってこれるのなら,そんなものはすべて一瞬のうちに捨ててしまうことでしょう.もし選べるものなら,息子の死の体験によってもたらされた精神的な成長や深さなどいらないから,十五年前に戻って,人を助けたり助けられなかったりのありきたりのラビ,平凡なカウンセラーとして,聡明で元気のいい男の子の父親でいられたら,どんなにいいだろうかと思います.しかし,そのような選択はできないのです.」(214~215ページ)

 そんな著者の言葉は,宗教という枠を超え,悲しみに打ちひしがれる多くの人びとに慰めと励ましを与えてきました.病院やホスピスで働く人たちの間でもよく読まれました.そして,これからも人間の根源をみつめる「古典」として読み継がれていく書であり続けるものと思います.

H.S.クシュナー 著 , 斎藤 武 訳

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