わが友、糖尿病 トップページへ メールマガジン無料登録

日韓新時代 2

2003年04月
6. 体調は悪いながらも光州市内めぐり

 翌日、1日分の薬だけでは心配なので、もう1〜2日分の薬をもらうのと帰国後の保険の払い戻しを受けるための診断書を書いてもらうために再び病院に行くことになった。元旦ということで、昨日行った病院は、午前中のみの診療ということであった。触診の後、診断書を書いてもらい、薬をもらい会計を済ませて病院を後にした。このときの請求額は、日本円にして1,600円程度であった。

光州の市場
 この後、光州の市場へ行き、韓国の食材を見ることができた。魚介類が豊富で、日本の市場を思い出させるものがあったが、生きている鶏やアヒル、豚の顔や足(日本でも沖縄で売られているのはテレビで見たことがある)も売られており、日本の市場との違いも感じた。市場の食堂でカルグルスを食した。ほぼ一人前食べられるほど回復していた。食前血糖が250mg/dLもあったため、いつもより2単位多くインスリンを打つ。ノ ムヒョン大統領が同店を訪れたときの写真が飾られており、大統領が座ったのと同じテーブルに座った。

 K女史も腰に痛みがあるということで、東洋医(日本で言う接骨院や整体治療院)を探すが、元旦ということで、どこも午前中で閉まってしまっていた。

 光州の繁華街へ行き、書店に入った。日本の乙武洋匡氏の『五体不満足』、大平光代氏の『だからあなたも生き抜いて』を始め、上杉鷹山など日本の本の韓国語の翻訳版が数多くあった。

韓国でお世話になった方々
 K女史の教え子が経営するという美容室を訪ねた。美容室の雰囲気は日本とほとんど変わりなく、若者向けのおしゃれなイメージの店であった。その教え子の話では、パーマ液をはじめ美容関係で使う薬剤は、日本製が一番質が良いとのことであった。また、韓国の若者は日本の若者のファッションに憧れており、店の若手スタッフの一人も日本で修行をするため日本語を勉強しているということであった。この話を聞き、日本人として、とても誇らしく思えた。

 夕飯は、私の大好物であるプルコギ(焼肉の一種)を食べに行ったものの、あまり食欲がわかず、少しつまんだ程度で、あとは雑炊を食した。翌日はソウルへ向けて出発ということで、事実上、送別会となった。

7. 痛み再発、再び病院へ

 明日に備えて早めに床に入ったものの夜中の2時ごろ右の肋骨下に激痛を感じて目が覚めた。しばらく耐えていたが痛みが治まらず、それまでは胃と大腸が痛んでいたのだが、位置からして肝臓のあたりだったため「もしや肝炎…」などと最悪のことを考えてしまっていた。

病院の救急外来へ
 痛みが治まらず、再び申し訳ない気持ちで一杯ではあったが、再びK女史の携帯に電話した。飛行機の時間があるため、K女史が飛んできてくれ、車で、昨日、一昨日に行った病院の救急外来連れて行ってくれたものの「医師がいない」という理由で診療を断られてしまった。別の病院に行き、内科専門医が朝9時にならないと来ないと言われたものの、とりあえず落ち着くまで、ということで外科医による問診と触診の後、点滴治療を受けた。

 一眠りし、目が覚めると内科医がおり、問診と触診し、「寄生虫によるものかもしれませんので帰国後検査をしてください」と言われた。点滴が終わり、薬をもらい会計を済ませた。時間外診療なので別料金がかかりますということで、どのくらいかかるものかと思っていたが、日本円にして2,600円程度であった。急いで宿へ戻ろうとしたが、焦っていたためにライトのスイッチを切り忘れてしまっていたのか、K女史の車のエンジンがかからなくなってしまったのだ。それでも飛行機の時間があるため、取り急ぎタクシーを掴まえ急いで宿へ戻る。

 急いで荷物をまとめ、Yu 氏の車で光州の空港へ向かった。通勤ラッシュ時間に重なり渋滞に巻き込まれる。何とか空港に着き、飛行機に間に合った。点滴を受けながら、別便への振り替え交渉をしなければならないことを覚悟していただけに、ひとまず安心した。離陸前に血糖を測り、150ほどだったのでポケットに砂糖が入っていることを確かめインスリンをいつもより2単位少なく(ノボラピッド4単位)打つ。

8. ソウルで青年実業家人C氏と再会

 ソウルに着き、会うことになっている韓国人の友人C氏に電話をかけ夕方会うということで、バスでロッテホテル隣の夏にも泊まったプレジデントホテルへ行く。チェックインを済ませ部屋へ。昼食時間となったため、血糖を測り120だったため、インスリン6単位(ノボラピッド)とカロリーメイト2ブロック(一袋)とミネラルウォーターをゆっくり摂った。南大門市場へ買い物に行く体力も気力もなかったため、隣のロッテホテルの免税店へ勤め先の上司や同僚たち、家族や友人たちへの土産物を購入した。

 光州では、夏に行ったときも今回も日本人には全く会わなかったが、プレジデントホテルはロビーにもエレベーターにも日本人が溢れていた。いわんやロッテホテルは、まるで韓国にいることが信じられないほど日本人が溢れ、日本語しか聞こえてこない状態であった。この両ホテルに限らずソウルの町を歩いていると日本人とよくすれ違い、また韓国人からも日本語で話しかけられた。ここでも、反日ということは感じられなかった。

 夕方、C氏と再会した。彼には夏に来たときにも大変世話になった。彼は30歳代前半で日本風に言えば青年実業家。婦人服メーカーの社長であり、中国に工場を持ち、日本に輸出している。英語、日本語、中国語に堪能な国際派である。

 彼のオフィスを案内してもらい、奥さんの経営する漫画本のレンタル店にも案内してもらった。日本では馴染みがないが、韓国では漫画本、一冊、一泊二日で20円程度でレンタルする店が一般的である。

日本の漫画の翻訳版
 女性向け漫画は、韓国の作家のものが多いが、男性向けでは「バガボンド」、「スラムダンク」、「稲中野球部」、「サラリーマン金太郎」を始めとし、ほとんどが日本の漫画の翻訳版である。また、子供向けでも「ポケモン」、「クレヨンしんちゃん」、「ドラえもん」、「とっとこハム太郎」、「デジモン」など日本の漫画の翻訳版がほとんどであった。韓国の若者は、至る所で、日本文化の影響を大きく受けていると感じた。

 C氏夫妻に茸鍋で有名な店で夕食をご馳走になった。血糖は、100まで下がったが、食欲があまりなかったため、インスリンをいつもより2単位減らして(ノボラピッド6単位)打つ。茸キムチ鍋とも呼ぶべき具だくさんで、それも茸・野菜が中心なので、やはり糖尿病患者にとってありがたい食事であった。とても美味しい料理であるにもかかわらず、体調が万全ではなくたくさん食べられなかったので非常に残念だった。

 ホテルまで送ってもらい、近くのセブンイレブンで朝食用に何かないか探しに行った。りんごジュースがあればよかったのだが、なかったのでバナナジュースを2本購入した。あとは、食欲があればカロリーメイトで済ませればよいと思っていた。就寝前の血糖は105。ペンフィルNをいつも通り6単位注射し、捕食にカロリーメイト1本を食べて寝る。

9. いざ帰国、しかし・・・

 翌朝、血糖は120。普通にインスリン(ノボラピッド6単位)を打ち、カロリーメイト2本をバナナジュースで押し込むように食べ、水を飲み朝食を済ませる。隣のロッテホテルの仁川空港行きのリムジンバスに乗り、空港へ着く。出国、搭乗手続きを済ませ免税店外で土産物を物色し飛行機を待っていると、出発の1時間前から何と雪が降り出し、みりみるうちに辺りは真っ白な雪景色になってしまった。当然のことながら飛行機は遅れた。

 定刻の出発の時間1時間を過ぎても召集アナウンスはかからず、他のゲートの私が乗る飛行機よりも1時間早く出発する飛行機がまだ出発していない状態であった。

 定刻よりも2時間遅れで、機内に搭乗はしたものの、何時までたっても離陸する気配はなく「只今滑走路の除雪中につき、もうしばらくお待ちください」とのアナウンスが何回も流れている。搭乗して1時間後、とうとう機内食が配られた。こんなことになるなら、朝食時にインスリンを打つときペンフィルNも一緒に打っとけばよかったと思った。血糖値は、いらだっているためか180もあった。食欲は依然として戻らなかったが、いつもどおりノボラピッドを8単位打つ。その後約2時間後、やっと成田へ向けて離陸した。定刻に出発していれば、成田へ着くどころか帰宅しているような時刻で3時間半も遅れての出発であった。

 当然のことながら、家では親が心配しており、私の携帯に親からの伝言が残されていた。今回、韓国で友人達と連絡を取る際に便利だと思い、韓国でも使えるAUの携帯を持参して行った。幸い今年の正月休みは1月5日までと長く、3日に帰国したため2日間ゆっくり家で休むことができた。痛みが再発すれば、休日当番医へ駆け込まなければならないかとも考えたが、そのような事態には至らずに済んだ。一週間、食事に気をつけ何とか仕事をこなし、その週末の土曜日に定期検診に行き、主治医の先生に診断書を持参し事情を話したが、嘔吐も下痢も収まり、痛みが再発していないということで寄生虫の検査もせずに済んでしまった。

 心配をかけ、本当に世話になってしまった友人たちには帰国後直ちに御礼のメールを送り、また粗品を送った。

 保険の払い戻しの受け方の説明書に従い、指定された書類を郵送にて保険会社へ送った。約一週間後、口座へ振り込むとのはがきが届いた。同日、通帳記帳をし、振込みを確認した。保険会社からは、「糖尿病との関連」を問われることは一切なく、請求に必要な書類を郵送しただけで保険はおりた。

10. 平和あっての国際交流

 今回の韓国への旅は、前回にも増して、親切な韓国の人たちに助けられた。そして、韓国の医療の一端に触れることができたことは、怪我の功名ではないが、自分としてはかなりの収穫であると思っている。ちなみに医療経済学の先生たちに軍事費の支出が多い韓国という国で、なぜ医療費が安いのかと尋ねたところ、「人件費の差」という答えが返ってきたのみだった。機会があれば、ぜひ調べてみたいことだと思っている。そして、もちろん糖尿病事情もである。

 日韓合同ワールドカップサッカーのお陰なのだろうか。以前にも増して、日本でも韓国に関する情報が増えてきているような気がする。私が知る限り、在日の方も含めて、日本人の私に極めて親切に接してくれている。地理的には近いにもかかわらず、そして、日本とよく似た文化を持つ国である韓国について、ほとんど何も知らなかったことに改めて気付かされた。

 ノ ムヒョン大統領が僅差で勝利したことは記憶に新しい。これは、北朝鮮との緊張を平和的手段で解決することと新しい時代の到来を期待して、韓国の若者がインターネットで呼びかけあって選挙へ行ったことが原因といわれている。徴兵という義務を負わされている韓国の若者が日本の若者と比べ危機感を感じていることは事実であろう。受験競争も韓国の方が日本よりももっと厳しい状況にある。

 これまでになく朝鮮半島情勢の緊張が高まる中、国際糖尿病支援基金としては、あくまでも平和的手段での解決を望みたい。万が一、武力行使が行われれば、われわれ糖尿病患者(特に IDDM)は生き残ることは非常に難しい。われわれ一人一人が他人事と捉えるのではなく、自分のこととして捉えていけば、「太陽政策」が実を結ぶものと信じたい。
©2003 森田繰織
©2003-2024 森田繰織 掲載記事・図表の無断転用を禁じます。