糖尿病と妊娠

2011年01月27日

糖尿病妊婦とリリーインスリン50年賞

 第3回糖尿病ネットワーク「母子を糖尿病から守る糖尿病予防キャンペーン」を書いたさい、リリーインスリン50年賞の事をほんの少し書きました。しかし、依然知らない人が多いようですし、糖尿病臨床の中では患者さんにとって、とても勇気づけられる大切な賞ですから、ここに改めて取り上げようと思います。

 1921年(大正10年)カナダ、トロント大学でインスリンが発見された時、そのインスリンを世界で初めて製剤化し、死の淵で糖尿病に悩む人々に救済の手を差し伸べた製薬会社がアメリカのイーライリリー社でありました。1923年のことです。デンマークのノルディスク社(現ノボ ノルディスク社)も続いて製品化に成功した会社であり、両社は現段階でもインスリンを新技術で製造、世界に向けて供給し続けている国際的な製薬メーカーです。

 リリー社は、糖尿病でインスリン治療を50年以上続けている患者さんを顕彰する意味で「インスリン50年賞」を設立しています。これは米国ジョスリンクリニック糖尿病センターが1970年に創った患者さんへの賞がモデルになっていると伺っています。

 アメリカでは1974年(昭和49年)に、我が国では2003年(平成15年)に第1回受賞式が行われています。従って米国ではもう36年が経過し1500名以上の患者さんが受賞、表彰されているわけです。日本では8年経ち受賞者はようやく33名に達しました。
 こんな素晴らしい賞の存在が意外に知られていないのは誠に残念です。

 2003年、第1回の受賞者は女性1名、男性2名でありました。その女性は、私が“糖尿病があっても妊娠、出産は可能である”と主張し始めて、東京女子医科大学病院で初めて糖尿病を治療しながら出産した1例目の方で向井孝子さんです。
 東京女子医科大学は、1900年(明治33年)に29歳の吉岡弥生先生が教育における男女の差別に奮起し、女性の自立を目指して創立した医学校であります。64年後の1964年(昭和39年)まで、糖尿病者の出産は皆無でした。それは社会に妊娠可能な若い女性の糖尿病者が少なかった事と、糖尿病があると危険だから妊娠してはいけないと禁止されていたからでありましょう。

 東京女子医大での糖尿病妊婦出産第1例目の向井さんは、受賞のさい「妊娠中良いコントロールを守れば、合併症のない赤ちゃんが生まれるし、良いコントロールを分娩後も守れば、一生合併症に苦しむことはありませんと大森安恵先生に諭され、この教えを守り通して今日に至りました」という内容のスピーチを行い、嬉しく医者冥利に尽きる感じでした。

 男性のお1人は小学生の時、1型糖尿病を発症し、インスリン自己注射が認められていない時代だったので、5年間神戸の大学病院に入院したまま通学に励んだというお話をなさいました。時代とともに変わる糖尿病の治療の歴史、糖尿病に取り組む人の真摯な生き様の歴史を感動的に見聞きする事ができるのが受賞式の臨場感です。

 インスリン50年賞は、何らかの形で治療に関与した主治医が推薦するシステムになっています。その後私は食道癌の世界的大家で95歳になった中山恒明教授をご推薦しました。先生はまだ内服薬のない時代に45歳で糖尿病が発見され、1日3回〜2回のインスリン注射を50年間打ち続け受賞2ヵ月後にご逝去遊ばされました。3回のインスリン注射をしながら外科学教授の激務をこなされ、糖尿病合併症に苦しむことなく、彼岸の国に旅立たれたそのまじめな人生もまた感動的です。
 その後家族歴の濃厚な糖尿病妊婦さん、死産で紹介された糖尿病患者さん達と、昭和40年代からつき合い、皆様とインスリン50年賞受賞の喜びを共有しています。

 2010年度の受賞者5名は、全員女性でありました。8年間の全受賞者33名の内女性は21名(64%)で、このうちの大部分の方は妊娠、出産を経験しています。合併症のない良いお子を生むには良いコントロールを守らなければならず、また女性はお酒や煙草をたしなむ人が少ない事も受賞に繋がっているように思われます。受賞者の皆様の共通点は,注射を続け合併症をほとんど持っていない事です。
 そして「インスリン50年賞」はそれまでの人生の苦難を吸い取ってくれ、またそれまでの人生の締めくくりで、再出発の良い門出になるように感じています。

 インスリンの自己分泌が少なく、インスリン注射を拒み続けて主治医を困らせている方には、正しい理解の泉にもなるのではないでしょうか。

※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。

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