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カンボジアの糖尿病患者さんについて

  カンボジアと言えば、世界的に有名なアンコール・ワットの遺跡を思い出す方も多いと思います。
私自身も1990年代後半に、アンコール・ワット遺跡群とプノンペンの街を観光で訪れたことがあります。当時は、内戦終結後間もない時期で、まだ遺跡の周辺でさえも地雷が数多く残っており、内戦、特に地雷のために障害を負った人達を多数目にしました。



  1970年代後半から1990年代前半のカンボジア情勢は、内戦中の戦火やポルポト政権による虐殺から逃れるためにカンボジアから多くの人々が難民として日本にやって来たことが記憶に残っている方もいらっしゃると思います。

  今回、インスリン・フォー・ライフ グローバル(オーストラリア)より、カンボジアの糖尿病患者さんのおかれた状況を紹介するリポートが届きましたので、ご紹介させていただきたいと思います。


カンボジアの糖尿病患者女性ソクハンさんは、今頃、何処でどうしているのでしょうか・・・

  ソクハンさんが最初にプノンペン市内にあるコッサマク病院で診療を受けたのは50歳の時でした。彼女は、首都プノンペンから約315キロ離れたカンボジア北部のクラティ州、クロング地区に住んでしました。


写真1:ソクハンさん。糖尿病の壊疽により左足を切断されてしまいました。

写真2:ソクハンさんの右足に傷が広がった状態。

写真3:2007年の「世界糖尿病デー」ウォークイベントに参加した糖尿病女性の足。

写真4:ソファさんと彼女の息子(1型糖尿病)、小児基金支援者のヘレン・ケウキーさん。現在ソファさんはから自転車、学校の制服、ノートの寄付を受けていますが、これらの支援は14歳までしか受けられません。

写真5:1型糖尿病患者のカニサちゃん

  彼女の主治医で糖尿病専門医であるセレイ・セン医師は彼女と携帯電話で連絡を取りあっていましたが、最近音信が途絶えてしまいました。単に携帯電話が使用できない状況にあるのかそれとも、彼女の身に何かが起きたのか…
カンボジアでは、総人口の半数は1日2ドル以下で生活をしており、ソクハンさんもその一人です。カンボジアの若い世代とは異なり、彼女の年代は家事や子育てに勤しむ保守的な世代です。

  ソクハンさんは、1997年に糖尿病と診断され大変なショックを受けました。主治医のセン医師に出会うまで、彼女は糖尿病専門医を始め、糖尿病の専門知識を持つコ・メディカルやエデュケーターと接する機会がありませんでした。カンボジア政府は、糖尿病や非感染症よりもエイズ・マラリア・結核と言った感染症ばかりに関心を向けています。
そのため、ソクハンさんがかつてそうであったように、カンボジア人女性の71%は、この「サイレントキラー」について、何も知らないのです。

  糖尿病と診断されて以来、彼女は適切な治療も教育も継続的なフォローアップも受けることなく、過ごしてきました。ソクハンさんの夫は、バイクでアイスクリームを販売する仕事をしており、収入は1日1ドルです。夫の収入では、診療所に行くことはおろか、インスリンを購入することもできません。ソクハンさんが生きるために、親戚中からお金をかき集めて、近所の薬局で、15ドル−20ドルの10ml入りのインスリンバイアルを購入しなければなりませんでした。このインスリンの費用は、一家の1か月分の生活費に相当します。 次第にソクハンさんの体調が悪化したため、彼女の夫はプノンペン市内の病院で治療を受けるために交通費や治療費を工面するために大事な商売道具であるアイスクリーム販売用のバイクを売らなければなりませんでした。

 

  2005年5月25日、ソクハンさんは、感染によるショック症状と左足の壊疽のためにコッサマク病院へ入院しました。セン医師は、「命が助かるには、早急に左足を切断するしか無い」と宣告しなければなりませんでしたが、当時、病院では壊疽に対する抗生物質もインスリンも日常的に不足していました。

  結局、ソクハンさんの左足は切断されてしまいました(写真1)。

  左足切断後、術後の傷の治りを良くするため、血糖値をできるだけ正常値に保つたなければならず、そのためにインスリン療法が必要でした。一家の収入源であった商売道具のバイクを売りましたが、更に一家に追い打ちをかけるような出来事がおこりました。今度はソクハンさんの右足にも大きな傷が広がったのです。(写真2)
  彼女が生存するには、更なる治療やインスリン療法が不可欠であり、そして生き延びるためには、右足も切断するしか選択肢は無いのです。 闘病中のソクハンさんの手記には、助けを求める痛切な願いが書かれています。

  カンボジア難民として米国に渡り、現在も米国に住む、セアンビー・クオチ氏がコッサマク病院を訪ねた時に、ソクハンさんのインスリン購入資金として50ドル寄付しましたが、彼女は退院はしたものの、その後どうしているのか、今も生きているのかさえもわかりません。

  ソクハンさんのケースは、例外ではありません。患者団体の会員のモ・ポ・ツヨォ氏は、世界糖尿病デーのウォーキングイベントで多くの女性が足に合併症を抱えているのを見て驚きました(写真3)。
セン医師は、内戦中は経験豊富な外科医でしたが、糖尿病患者さんが足の切断という最悪な事態を起さないようにするために糖尿病の専門医となりました。しかし、院内には糖尿病の足のケアに関する専門家がいないために、まずは「足の専門家養成チーム」を立ち上げなければなりませんでした。セン医師は、経済的事情でインスリンを購入することができない患者さんのために、インスリンを提供してくれる慈善団体を探していましたところ、オーストラリアで途上国の糖尿病患者さんを支援する「インスリン・フォー・ライフ グローバル」を知りました。現在、インスリン・フォー・ライフは、コッサマク病院にインスリンを提供している団体の一つです。

  また、一般の人たちにも糖尿病予防に関する啓発を早急に行わなくてはなりません。家事を担う女性や、その子供たちが、クメール神話と揶揄される「カンボジアでは、糖尿病の女性や子供は、死の宣告と同然」という状態を脱しなければならないからです。

  最近の状況から推定されることは、カンボジアでは40〜50歳代女性の約71%が糖尿病でありながらも未診断の状態であり、うち51%は高血圧による心臓疾患の合併症負っています。先進国では、糖尿病女性の発症は64歳前後が多いと言われ、労働生産世代からは外れますが、カンボジアの場合は、女性の40〜50歳代が半分を占め働き盛りの世代が多い状況です。 このことは、経済活動において労働生産性を落とすことから、家族や国家にとっても大きな負担となります。

  カンボジアでは、家族の絆を大切にしており、ソクハンさん家族もその1人です。しかし、ソファさんのケースは、違いました。
ソファさんはソクハンさんよりも若い世代ですが、彼女には、6人の子供がいます。現在10歳になる息子が生後7か月の時に1型糖尿病と診断されました(写真4)。

  ソファさんの息子が糖尿病と診断されたとき、彼女はセン医師に「これ以上6人の子供たちを養うことはできない」と悲しそうに言いました。
彼女の夫は家族を捨てて逃げてしてしまったため、金銭的な余裕がなく、今は息子と2人で観光都市として有名なシェムリアップにおいてNGOが運営する小さな絹工場で働いています。この収入に加えて近所にある小児科基金からの支援を受けています。

  彼女らは10年前より小児科基金の支援を受けていますが、以前は現在の住まいから350キロ離れた所に住んでいたため、通院のための交通費と宿泊費で家計は破たんしてしまいました。現在は小児科基金の支援を受けているものの小児科基金の支援は14歳までしか受けることが出来ませんので、「息子が15歳になったら、どうすれば良いものか…」とソファさんは心配しています。

  同じく1型糖尿病のカニサちゃん(写真5)は8歳くらいに見えますが、実は13歳です。数か月の間にカニサちゃんの体重は激減したため、カンポン・チャム糖尿病クリニックで診察を受けたところ、クオン・ソファリン医師によって1型糖尿病と診断されました(写真6)。

  彼女の両親は、プノンペンから約50キロ離れたタケオに住んでいたため、プノンペンにある小児科基金で支援を受けるための交通費と宿泊費を捻出するため両親は家と土地を売却しなければなりませんでした。つまり、交通の便の悪い地区に住んでいたため、糖尿病治療のための支援を受けるために莫大な費用がかかってしまったのです。母親は失業し今はメコン川沿いで野菜栽培して家計の足しにしており、父親は3年前までは近くにある湖で漁業をしていましたが、建物建設により湖が埋め立てられてしまいました。一家は、高利の借入を抱えており、返済に苦しんでいます。
  現在は50ドルの寄付でインスリンを購入し、そのお蔭でカニサちゃんはインスリン治療を受けています。体重も数週間で約10キロ戻りましたが、そのインスリンも底を尽きようとしています。

  調査によれば、カンボジアの糖尿病有病率は10%、糖尿病予備群は10%と言われています。カンボジア保健省の糖尿病がもたらす負担が大きいことに気付き始めていますが、未だ具体的な対策を打ち出せないままです。いつになったら、この悲惨な状況が改善されるのでしょうか? それまでにソクハンさんが生きているのか?ソファさん息子とカニサちゃんが15歳になり支援が打ち切られた時に何処でインスリンを入手するのか?が残る疑問です。




  以上が、今回インスリン・フォー・ライフ・グローバルから寄せられたカンボジア情報の翻訳ですが、カンボジアの糖尿病の人達、特に女性が置かれた状況が厳しいことが伺えます。 カンボジアに在住経験のある友人に、記事に触れられている、40、50歳代の女性について尋ねてみました。友人の話では、内戦時、その後の圧制期、そして復興の混乱期に、いわゆる青春に当る時期を過ごし、同世代の男性たちは、皆、強制労働に駆り出されたり、兵士として従軍したため、命を落とした人たちが多く、男女の人口比が大きく異なることから、結婚の機会に恵まれなかった女性が多数いるとのことでした。

  日本と比べ、大変厳しい状況にある人たちのことを思いながら、恵まれた日本という国の中で糖尿病の治療を受けることができることに感謝すると共に自分に何かできることは無いかと考えさせる記事でした。

「Sokhann, a woman with diabetes in Cambodia」(Diabetes Voice IDF)より、一部翻訳


関連サイト
2013年03月
国際糖尿病支援基金
  • これまでに寄せられた寄付金
    1,956万265円 
  • これまでに実行した支援金
    1,941万7,033円 

(2024年04月現在)

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