DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2015年12月01日

第4回 消えたインスリン

 友人たちの就職もほとんど決まり、肩を落とすものなど一人もいない、まだ右肩上がりの経済成長が信じられていた頃の、大学4年の夏だった。ただ、僕一人は、忽然と正体を現した魔物を抱えていた。

「健康な人より、あなたの人生の残り時間はきっと少ない」

 振り払っても払っても、この魔物は耳元で囁くのをやめなかった。まともにこんな魔物に勝負を挑めば、冷静さを失い、奈落の底まで落ちてしまいそうだった。

初めてのアメリカ

第4回 消えたインスリン

 アメリカに卒業旅行に行こうという友人の誘いに乗った。頭から魔物を振り払うためには絶好の機会に思えた。ロサンゼルスを起点に、ネバダ、カリフォルニアを2週間、レンタカーで周るプランだった。

 英語でいろいろ聞かれたらどうしよう、大量のシリンジ注射器に疑いをかけられたらどうしよう、手荷物検査やボディチェックの度に、日本糖尿病協会が発行するカード「I HAVE DIABETES」を水戸黄門の葵の御紋のように握りしめていたが、何事もなくロサンゼルス空港の外に出た。

 早速レンタカーを借り、腹も減っていたので最初に向かったのはハンバーガーショップだった。Sサイズを頼んだつもりだったが、ペットボトルほどもあるジュースが手渡された。これでは体に悪いので、「頼んだ物と違う」と慣れぬ英語で小さく抗議をしてみたが、どうもこれがSサイズらしかった。なんともサイズの大きい国だった。肉汁の滴るハンバーガーの誘惑にも勝てず、とにかく食べまくっては、インスリンのお世話になった。

 果てしなく乾いた景色が続くネバダ、シーフードの看板と坂道が印象的だったカリフォルニアを走り、アッと言う間に2週間が過ぎた。帰国予定の前日、キンピカの夕日に煽られながら、僕たちは海沿いのハイウェイを一路ロサンゼルスの空港に向かっていた。

 走行は1500kmを越え、想像以上にヘトヘトになっていた。だから、ロサンゼルスから100キロの標識を見たとき、誰もが何でもいいから泊まれるところをみつけたいと思った。ホテルの予約はしていなかったので、車でウロウロするうちに目についた緑色の平屋のようなモーテルの駐車場に、吸い込まれるように入っていった。

 友人の一人がフロントに行き、空き室があるのを確かめて戻ってきた。「まあ、大丈夫なんじゃない」と、よく確かめもせずに、最後の夜の宿は決まった。

モーテルでの出来事

 チェックインして、荷物を部屋に置いてから夕飯を買いに行った。初日と同じハンバーガーチェーンが近くにあったから、テイクアウトしようと思ったのだ。ところが、まだかまだかとカウンターの前で待つうちに、店の雰囲気が少し変なことに気づいた。僕の背中にビームのようなものが照射されているのを感じた。気になって後ろを振り返ると、カウンター待ちもしていない何人かがたむろしていて、こっちを睨んでいるような気がした。

 気のせいだと、疑念を振り払おうとした瞬間、カウンターから僕は呼ばれた。なんとカウンターの店員は、ガラスの向こうから小さな穴を通して注文を取っていたのだ。どこかで見たことのあるシーン。まるで刑務所の面会風景……イヤ、アメリカの強盗事件の映像ビデオだ。あのガラスは、防弾ガラスに違いない。戦慄が体を貫いた。

 僕はすぐさま、友人たちに小声で伝え、一目散に店を去った。

 この町は、何かがヘンだ。妙に空気がざわついている。普通の、あの陽気なアメリカ人がみつからない。胸騒ぎがして、急いでモーテルに帰ると、なんと僕らの部屋の扉が壊されていたのだ。呆気に取られて、次に何をすべきかわからなかった。茫然として、頭が真っ白になった。そして、次の瞬間、まだ強盗がいるかもしれない部屋に息をかみ殺して、足音を消して、恐る恐る入った。

 人の気配は既になかったけれど、荷物はごっそり失くなっていた。ベッドも床の上にも、荷物がなかったので、我々がチェックインした痕跡はまったくなかった。パスポートやインスリンもやられた。ハンバーガーをテイクアウトするだけの、ほんの数十分の外出だったから、警戒心など、どこかへ忘れていた……というか、平和な日本では、どんな安宿でも、こんな事は起きない。恐らくフロントと強盗犯はグルだっただろうが、そんなことに今さら気がついても、何の役にも立たなかった。証拠もないし、抗議をしても意味はない。強盗犯と鉢合わせしていたら……と思うと背筋が凍った。

 混乱しながらも、なんとか警察へは電話をした。しかしそれから6時間以上も警官が来るまで待たされた。その間、不穏な町の強盗に合ったモーテルの駐車場で、僕たち3人は、夜が更けていくのを、ひたすら耐えていた。 ハンバーガーも食べそこなっていたけれど、空腹感よりも不安が勝っていた。

 パスポートもない、お金もない、着替えもない、そして僕一人だけは、インスリンがないという、別の恐怖も抱えていた。ただひとつの救いは、ポケットをまさぐるうちに、釣銭と一緒に入れていたクレジットカードが一枚みつかったことだった。

 警察が来ると、拙い英語で自分の名前と住所、パスポートや荷物を何もかも盗られたと伝えたが、本当に伝わっているのか不安だった。しかし現場検証みたいなものは、あっけないほどすぐ終わった。悪くいえば、僕らにとっては空前絶後の事件が、彼らにとっては、日常茶飯事のようだった。

 僕たちは、すぐさまエンジンをかけてモーテルを後にした。向かった先は安全な寝グラだった。安全という2字だけでは足りず「絶対安全」という4字熟語でなければならなかった。100%の保証を欲したのだ。恐怖は財布の中身も忘れさせ、一目散に向かった先は、あのモーテルとは対照的な高級ホテルだった。

 続きは次回で。

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