DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2016年04月01日

第8回 社会人1年目、罹病10年目、マグネットへの羨望

第8回 社会人1年目:罹病10年目:マグネットへの羨望

 1997年の4月、僕は社会人になった。もう20年も前のことだ。

 大人の社会とかサラリーマンが、いったいどういうものなのか、僕には全くわからなかったけれど、「1型糖尿病が理解されていない社会」ということだけはわかっていた。

 社会と僕との接点である最初の仕事は、外車の販売だった。学生時代から車好きではあったが、外車というお金持ちが乗るような車には全く興味がなかった。ただ、特別な資格も特技もなく、1型糖尿病という持病もあったので、そんな僕を選んでくれた会社に入社した。入社式には、200名以上の新卒の同期がいたほどの、規模の大きい会社だった。

 入社式や諸々の研修を終えて5月になると、配属先である営業所での勤務が始まった。

マグネット

 僕の勤務先の営業所には、営業マンが60名以上はいた。そして毎月の個人の販売実績を展示したホワイトボードが、ひときわ大きく壁を占領していた。車が1台売れれば、各営業マンの名前の上にマグネットを貼りつける。もう1台売れれば、そのマグネットの上にもうひとつマグネットを重ねていく。

 トップセールスと呼ばれる人たちの名前には沢山のマグネットがそびえ立っていた。まったく売れていない人には、ボードの白い地が虚しく光っていた。

 その差は、僕の低血糖と高血糖の値くらい顕著だった。学生時代には味わったことのない、はっきりとしたヒエラルキーが存在していた。

 早速、営業所では新入社員の紹介があった。大人数の中で、あのホワイトボードの前に立たされた。1型マリオ(第6回参照)は、学生生活や仕事での目標(もちろんトップセールス)、そして最後に1型糖尿病のためにインスリンを打たねばならないということだけを控えめに話した。

 高級な輸入車の新車を売る営業マンたち。ほぼ全ての営業マンの時計はオメガ以上でローレックス以下。靴だって、歩けばコツッ、コツッ。まるで音がしない裏面がゴム製のものを履いている営業マンは僕ら新人ぐらいだった。

 なぜ営業マンが高級な腕時計や靴を身につけるのか、僕はとても不思議だった。けれど、この疑問は、数年後に知り合ったある芸能人の言葉で解決した。

 「遠藤ちゃん、僕らが高級外車に乗る理由のひとつは、自分が売れているってことを証明するためなんだ。」

 欲しいからとか、そういう理由ではないのですか、と僕は聞き返した。

 「それも多少はあるけれど、ポンコツの車に芸能人が乗ってたんじゃ、この業界では仕事が回ってこない」

社会人、1型糖尿病としてのマナー

 自分の仕事も見栄とハッタリがものを言う世界だった。しかしながら、仕事の内容は見栄やハッタリとは裏腹に、とても地道なものだ。朝は会社の車の洗車に始まり、その後、お客さんもいない新人の僕の仕事は飛び込み訪問だった。重いセールスバックを引きずっては、売れるはずもない非効率な飛び込み訪問だった。あまりの効率の悪さにサボる同僚も出てきた。

 僕もサボりたかった。しかし、仕事をサボるってことは、自分が自分を裏切っているように思えて嫌だった。だから、まるでロボットのように1日、150件から200件くらいの飛び込み訪問を淡々とこなした。まあ、たまには公園でうたた寝もしたけれど。

 社会人になってから僕の糖尿病との向き合い方は、ちょっと変化した。社会と僕との間には、少しの緊張感があったからだった。仕事中に低血糖昏睡で倒れるわけにはいかなかった。そのため、全く測らなくなっていた血糖測定を1日1回は、やるようになった。低血糖対策のために、コーラを常に持ち歩くようになった。このふたつが、社会に出てからの、僕のマナーになった。

 ただ、僕のマナーと車を売るということには何の関係もなかった。売れない飛び込み訪問の日々。断られ続ける飛び込み訪問の日々。飽きてくる飛び込み訪問の日々。そんな悶々とした日々が4ヶ月過ぎ去っていった。 そんなある日、飛び込み訪問先で、一人暮らしをしている大学院生と出会った。港区にある有名大学に通っている人で、年齢は僕と2つしか違わなかった。

 玄関先で世間話しをしているうちに、意気投合して自宅に招き入れられた。そして、その大学院生はこう言った。

 「俺、ちょうど車を買おうと思っていたところだったんだ」

 史上最高のコトバだった。そのコトバは、僕の冷静さを失わせて、飛び込み訪問の退屈さをも同時に吹き飛ばした……。僕のインスリンはすでに枯渇していたけれど、脳みそからドクドクと、変な分泌物が出てきたように感じた。

 どちらの車種をお考えですか。脳みそからの分泌物をなるべく抑えながら、僕は冷静に聞いた。

 「なんだっていいよ、走れば」

 飛び込み訪問という日常の仕事で、非日常のコトバは続いた。それは、日本にいながら、海外旅行をしているような英会話レッスンだった。

 「では、明日ショールームにお越しになりませんか。いろいろな車も見られますし、試乗車もご用意しておきます」

 僕は英会話を続けた。

 「わかった」

 そして、翌日、その大学院生はショールームに来て、僕から車を買ってくれた。99.99%ありえないと思われた現実が目の前で起こった。すでに、飛び込み訪問を始めて、1万軒くらい訪問した頃だった。だから、万にひとつの出来事。それは、まるで1型糖尿病の発症率と同じくらいの確率だった。

1型糖尿病でも仕事ができる

 なぜ僕だけがこのような病いに……と、1型糖尿病を発症したころは、万にひとつの病気を毎日呪ってはいたけれど、車を売った時の達成感は、ただ気持ちが良く、嬉しかった。喜びのあまり、僕の糖尿病のドクターへ、車が売れた、という事実を伝えた。

 「努力が実ったじゃない。HbA1cでも頑張ろうね」

 HbA1cのことなどは、すでに興味がなかったけれど、僕のカルテには初めての新車が売れるとドクターに書いてもらった。

 そして、あのホワイトボードの僕の名前の上にも最初のマグネットが貼られた。黄色のマグネットだった。マグネットは1型糖尿病の僕でも、きちんと仕事ができることを証明してくれているようだった。マグネットは次第に、僕の血液にまで入り混んでいき、思わぬところに波及した。

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