DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2016年01月04日

第5回 消えたインスリン その2

第5回 消えたインスリン その2

 アメリカ西海岸への卒業旅行は、最終日の前日に、とんでもない事になった。ロサンゼルス空港に向かう途中、街道近くのモーテルに荷物を置いて外出したのが仇になり、現金、パスポート、インスリン、ありとあらゆる生命の必需品はアメリカの大地に消え失せた。気楽な旅行者だったはずが、無一文で、国籍不明で、病気持ちの無法者に、被害者の僕の方がなってしまった。

 頼みの綱はポケットにあった一枚のクレジットカードだけだった。

 でも、このカードのお陰で、「絶対安全」と思える高級ホテルにチェックインできることになった。少し安堵して駐車場にレンタカーを停め、トランクから全ての荷物を下ろすと、端の方にグレゴリー製の黒いベルトを巻いた僕のポシェットが転がっているのが目に入った。車の揺れで前後左右に転がったようで、ポツンと裏返しになっていた。

 「アッこんなところにあったんだ」僕は獲物に襲いかかる猛獣のような勢いでチャックを引っ張った。中には期待に違わず、1日1回打っていた、効き目の長い中間型のインスリンとシリンジの注射器が数本入っていた。

 これで数日生き延びられる……砂漠の中で井戸を見つけたように歓喜した。ハンバーガー屋から飛び出したあと、無意識にポシェットをトランクに投げ込んだのが不幸中の幸いだった。しかし、ホッとしたのも束の間、食事の度に打っていた速効型のインスリンは、やはり盗まれた荷物の中だった。

口に出せない不安

 一泊200ドルもするホテルは、ベッドも大きく、アメリカ的に豪華な家具もしつらえてあったけれど、あまりの疲れから靴も脱がずにベッドに倒れ込んだ。しかし、体を横たえ、腕を瞼に乗せて目をつぶったものの、すんなり眠りに落ちたわけではなかった。

 日本に帰れるのだろうか? いや、最悪、国籍不明のままアメリカで過ごすことになるのだろうか? それよりも何よりも、食事のときに打つ速効型のインスリンがない。友人たちに心配をかけたくなかったから、口に出さなかったけれど、僕だけがもうひとつの不安を抱えていた。

 次の日は多忙だった。盗られたパスポートと航空券をどのように再発行して貰えばいいのだろうか。途方に暮れてはいられない。焦燥感に背中を押されとにかく行動に移した。パスポートはまず総領事館に行けばいいことはわかった。神様、仏様、『地球の歩き方』様、このときばかりは、あの観光旅行ガイドが本当に役にたった。

 総領事館では、受付でパスポートが盗られたことを説明した。捜査には不熱心だった警察だが、盗難に合ったという「証明書」だけは有効だった。いくつかの書類を日本語で埋めると、パスポートを発給してもらえる手筈が整った。そして、総領事館の手配で、4日後の飛行機で帰国できるメドもたった。

 無事に帰国できるという喜びに、友人たちはハイテンションに戻った。僕もアメリカでホームレスになる危機が去ったのは、嬉しかった。ただ、残る4日間、食事の時に打つインスリンがないということで、僕だけは、冷気のような不安が足元に偲び寄ってくるのを感じていた。

低血糖昏睡の悪夢

 姿なき強盗に血糖測定器まで持っていかれたから、血糖値も測れない。英語もロクに話せなかったので、病院に行こうなどという発想も浮かんでこない。ナイナイづくしの状況下で、ない知恵を雑巾のように絞って、僕は必死で計算した。今ある中間型のインスリンを一体どのくらい打てばいいか?

 数年前から、速効型インスリンを食事ごとに3回打つようにしてきたから、中間型のインスリンは補助役のようになっていた。中間型インスリンだけでは、食事での血糖値は抑えきれない。いわゆる強化療法の経験(速効型3回と中間型1回)で感じたことだった。いっそのこと帰国するまで4日間、絶食するか……と到底出来ぬことまで考えた。

 中間型のインスリンをどのくらい打てば、速効型の代わりになるのだろうか。この計算が、一番の問題だった。血糖測定器がない今の状況を恨んだ。

 ただ、低血糖だけはなんとしても避けたい。これが一番の望みだった。重篤な低血糖になれば、なんとなく分かると思うが、絶対が付くほどの自信はない。過去のあの忌まわしき低血糖昏睡は自覚できずに起こったものだった。低血糖から回復したとき、あの病院で感じた罪悪感が強烈に蘇る。

僕はゴルゴ13になる!

 ならば低血糖は絶対起こさず、ギリギリ高血糖にもならないようにコントロールしてはどうか。これが一番、実行可能そうでリスクも少なそうだった。高血糖の方が自覚しやすいからだ。イヤでも尿の回数は増え、喉は渇き、体がだるくなる。じわりじわりと全身が不調になってくる。確かにそのしんどい記憶は忘れられない。それでも高血糖は低血糖のようにすぐに倒れはしないだろうし、救急車で運ばれる危険も少ない。

 高血糖へフォーカスし、そうならないようにすればいいのだ。
 よし、中間型をいつもの単位(量)で、朝夕の2回打ちでいこう。

 経験と感覚を頼っての意思決定。しかしそう決めてからは、10年間で得た血糖値に対する自覚症状だけが頼りになった。ふと頭に浮かんだのは「ゴルゴ13」。冷静沈着で、およそ眠っているときも、全身の感覚は研ぎ澄まされているスナイパー。仕事の達成率はほぼ100%。僕が目指すのは、まさにゴルゴ。全身の五感をフル稼動させて仕事に挑んだ。

研ぎ澄まされた感覚

 食べ物のカロリーは栄養士のお陰で大方心得てはいた。摂取カロリーは1,000kcal未満を厳守、回数は3食以上に分ける。そんなストイックなルールも決めて、禁欲生活はスタートした。

 高級ホテルのヨダレも出そうなクロワッサン、友人たちはうまそうにバターまで付けて食べていた。僕の腹もグゥーっとは鳴ったが、空腹感は水を飲んで忘れ、血糖値を上げる罠かもしれない炭水化物は、横目で見過ごし、ゆで卵やハムといったタンパク質が置いてあるブッフェのコーナーに照準を絞っていた。

 食後、もし指先に痺れるような高血糖の感覚が伝わってきたら、ライオンの銅像の口から水が溢れ出ている豪華なプールに入って右往左往して泳いだ。

 1型糖尿病になって10年、ドクターや看護師、薬剤師、栄養士、理学療法士から得た知識を駆使し、いままでになく忠実に守った。いや、意志を飛び越えて体は条件反射のように勝手に動いたようだった。日常では不可能な火事場の馬鹿力……。

 こうして、ゴルゴ13の足元にも及ばぬ僕の高級ホテルでの4日間は、血糖値との格闘で楽しむこともできず、あっと言う間に過ぎ去っていった。

 ついに、帰国のためのパスポートを手にして、ボディチェックや税関もなんなくクリアし、無事に帰国。目の前にあるのは奇跡の血糖測定器。

 むさぼるように血糖を測った。指先に刺した穿刺器具からは、新鮮な血液が溢れ出て、血液はゆっくり、丁寧に、血糖センサーに浸される。それはまるで何年もご無沙汰していた旧友に会ったような感覚だった。ピーっという血糖測定を始めるあの懐かしい機械音が、想像を超えたアメリカの日々を呼び覚ます。

 血糖値は200mg/dLオーバーだった。でも、そんなことはどうでも良かった。とうとう長らくお別れをしていた愛おしい速効型のインスリンを打って、てんぷらうどんを啜った。インスリンとうどんが血液に染み込んでいくような感覚だった。

 

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