糖尿病と妊娠
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糖尿病3分間ラーニング

11. 妊娠時のインスリン治療の進歩

大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター長、東京女子医大名誉教授)
2012年09月

はじめに

 2009年2月、妊娠を希望する糖尿病の患者さんへ-歴史が教える医学の愛、親の愛-と題して、恐らく1型糖尿病における世界で初めての出産例であろうと推定されているジョヴァノヴィック先生のお祖母さまが8歳の時バンチング先生に宛てて書かれた絵手紙をご紹介した。

 1922年12月のお話である。

繰り返しは良くないので、ここに再記述を避けるが、妊娠時におけるインスリンの話をするとなるとどうしてもこの健気な8歳の少女に心を奪われてしまうのである。

初の1型糖尿病妊娠出産へ

 この8歳の少女は、1922年(大正11年)父親の機転と叡智に支えられ、発見されたばかりのインスリン治療をバンチング先生から直接受ける幸運に恵まれた。糖尿病昏睡という死の淵から生還して成長し結婚,妊娠、出産したのである。

 米国カリフォルニア州サンタバーバラにあるサンサム糖尿病研究所所長ロイス,ジョヴァノヴィック先生のお祖母さまである事は歴史の史料で明らかにされている。

 糖尿病患者さんの妊娠に対するインスリン治療がまだ未熟な昭和初期のことで、彼女は一人息子を分娩後亡くなられている。

前述したように1型糖尿病の世界最初の出産例ではないかと推定されているが、非常に短命であった。しかしインスリン発見直後、糖尿病昏睡から甦り、糖尿病を持ちながら結婚、妊娠、出産を全うし曾孫までいることに大きな感動を覚える。

 また、たとえ病気があったとしてもそれを治療しながら、人としての当たり前の人生を歩ませようとする医師の姿勢に、海よりも深く、山よりも高い感銘を受け,欧米の先駆者に心から敬意を捧げたくなるのである。

孫のジョバノヴィック先生は

 ロイス,ジョバノヴィック先生は現在60歳代、糖尿病と妊娠の分野でアメリカ糖尿病学会のみならず世界的指導者の一人である。先生のお父上も糖尿病であり、ジョバノヴィック先生自身も18歳で糖尿病になっているが、2人のお子様が医師としてご活躍中で、お孫さんも4人おられる。

 3代揃って糖尿病であるので「先生のご一家は優性遺伝のモディ(若年発症成人型糖尿病)ですか」と質問をしたら、「遺伝子検査の結果1型糖尿病と判明しています」という答えが返ってきた。

糖尿病でも妊娠・出産は可能

 日本では大根や牛蒡など食物繊維を沢山含んだ低脂肪の、伝統的な日本食が糖尿病の発症予防に役立ち、糖尿病者が稀で、特に妊娠できるような若年発症糖尿病が少なかったせいもあったであろう。

 糖尿病があると危険だからという理由で,糖尿病患者さんの妊娠は禁止されていた。

 私が、自分の子どもの死産の悲しみをきっかけとし、死産を経験した糖尿病患者さんとの悲嘆の共有から、欧米の先覚的指導者から教えを受けて「糖尿病があってもコントロールさえ良くすれば妊娠,出産は可能である」と医学および社会改革を始めたのは1961年(昭和36年)頃からである。

妊娠出産を支えるインスリン治療の進歩

●1961年当時、インスリン製剤は、1日3回注射をするレギュラーインスリンだけでなく、1946年にハーゲドーン先生の努力により開発された長く効くNPHインスリン、1951年に開発されたレンテインスリンがあった。血糖コントロールはそれらを加えてとても容易になっていた。

●1955年にはサンガーがインスリンの構造を解明し、1960年には放射免疫測定法が考案され血中の微量インスリンを測定することができるようになった。

●1967年、インスリンの前段階の物質であるプロインスリンが発見されるなど、インスリンの研究面もどんどん進歩して来た。

●これと平行してヒトインスリンの生合成、100単位のペン型インスリン注入器が出現し普及した。

●注射してすぐ食事がとれる超速効型インスリン(ノボラピッドやヒューマログなど)の開発・販売もはじまり、続いて超速効型インスリンと中間型インスリンを組み合わせた二相性インスリンアナログとよばれるインスリン(ノボラピット30ミックスやヒューマログミックス25など)が続々と開発された。

●さらに約24時間効果の持続する持効型インスリン(ランタス、レベミル)が出現した。

 これらによって、血糖コントロールは実に多くの選択肢があり簡単に血糖正常化が実現できるようになったのである。

血糖正常化を目指す

インスリン治療は妊娠に限ったことではなく妊娠していなくても用いられるが,コントロール目標が異なる。

●一般の糖尿病(非妊娠)の血糖コントロール目標は正常近く(near normal)、つまり正常値に近づけていくという事である。

●妊娠時(妊婦)のそれは血糖正常化(normal)である。つまりHbA1c (国際標準値)で6,2%未満、血糖値は食前も食後も80〜100mg/dlにするという事である。

 これは生まれてくる命を健常に保つため、我が身を削ってでも最善を尽くすという、世代をつなぐ女性が授かった使命と言えよう。

 インスリンが発見されて91年目になるが、発見から絶え間ない医療者の愛と努力によってこのような「妊娠時の目標」が形成されてきた事は、糖尿病と妊娠に関する大進歩といえる。

 今日、妊娠前に糖尿病合併症がなく,血糖コントロールが良ければ,糖尿病を持たない女性と全く同じ分娩結果が得られる時代になっている。

インスリン治療の進歩を生かして

 2012年8月13日発行のアメリカ糖尿病学会のニュースレターによると、1965年から1980年に診断された1型糖尿病者の生命予後は、1950年から1964に診断されたヒトより、15年伸びているので、研究者達は保険会社に修正を依頼する必要があると報告していた。これは大いにインスリン製剤の新しい開発、治療の進歩によるお陰だと言えるであろう。

 妊娠時の糖尿病の治療も、発展したインスリン治療を駆使して頂き、妊娠前にコントロールを良くし、腎症や糖尿病網膜症がなければ、不安のない妊娠、出産を享受することができると思う。

 昭和初期ジョヴァノヴィック先生のお祖母様は分娩後若くして逝かれたが、現在糖尿病のある妊娠を経過した方々は、コントロールの方法と大切さを知っておられるので、非常に長生きされているように感じられる。

 日本中何処にいても地域較差のない正しいインスリン治療が平等に受けられ、悩みの少ない妊娠生活を送れる日が1日も早く来ることを祈念している。

©2012 大森 安恵

2012年4月からヘモグロビンA1c(HbA1c)は以前の「JDS値」に0.4を足した
「NGSP値」で表わされるようになりました。過去の記事はこの変更に未対応の部分があります。

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